25『不躾な懺悔』



 誓う事それ自体に意義は無い。
 自分の中だけで決意をすると、いつしかその決意は薄れてしまう。
 その決意を他人に告白する。

 告白するのは別に誰にでもいい。
 実体のない神にでも、紙に書くだけでもいい。
 その決意を自分の表に出してしまう事が重要なのだ。
 もしその決意が果たされなかった場合には、自分は責められ、信用を無くしてしまう状態にする。
 すると、その決意は薄れる事が無くなり、その決意を裏切ると、その人は一生それを引きずる事になる。

 それが誓いである。



 リクの前に、昨日いろいろ頼んだコーダが姿を現わしたのはフィラレス達と別れたすぐ後だった。タイミングからしてリクがフィラレスから離れるのを待っていたらしい。

「おはよッス、兄さん。良く眠れやしたか?」
「気分は上々だ。それより誰か見つかったのか?」

 リクが訪ねると、コーダは得意そうに胸を反り返して答えた。

「ええ、例の女魔導騎士っス。結構近くにいやスけど、どうしやス?」
「会うに決まってんだろ。場所と名前を教えてくれ」


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 ここは第一決闘場内にある医務室だ。まだ生き残っている参加者は利用出来ないが、すでに腕輪をとられた参加者達を治療する為の施設である。
 魔法によって傷だけは塞がれたシノン=タークスの遺体を前に、ジェシカ=ランスリアは落ち込んでいた。
 彼女が敬愛し、そして想いを抱き続けて来たシノンの死を目の当たりにしただけではない。その仇に、自分のコンプレックスを正確に指摘され、相手にもされなかった。
 あの時、飛ばされた、鉄仮面の付いた兜は脱いだまま、彼女が座る椅子の脇に転がされている。

「シノン様、私はどうすれば良いのでしょうか? あなたの仇は打たなければならないと思います。しかし、私はその男に相手にもされず、あまつさえ、軽く弄ばれる始末……。
 初めは何かが間違えば、あなたにも勝てると自惚れ、この大会に参加しました。しかし、正直に言って今、私にはあの男に到底勝てる自信がありません」

 そうひとり呟いてジェシカは手袋型の鉄の篭手に嵌まった右手を握りしめた。

「自信が無いのなら止めておけばいいだろーが。何も悩む必要はねーと思うけど?」

 いきなり背後から声を掛けられ、ジェシカは反射的に壁に立て掛けたあった槍を手にとり、目にも止まらぬ早さで振り向く。
 そこにいるのは栗色の髪、そして綺麗なエメラルドグリーンの目をした、青年と呼ぶにはもう少し若い感じのする男である。

「誰だ、貴様は!?」
「フリーの参加者でリク=エールって者だ。あんたに謝りたい事があって来た」

 妙な物言いに、ジェシカは槍を握る手の力を緩め、眉をしかめる。

「謝りたい事?」

 リクは頷いて肯定の意を表す。

「ああ、俺はシノン=タークスが殺される現場に居合わせた。だが、俺はその後、ジルヴァルト=ベルセイクに恐れをなして逃げてしまった」
「それが私に謝りたい事か? ならば謝罪は必要無い。勝てない敵から逃げるのは賢明な選択だ」

 槍を下ろしてそう言うジェシカに、リクはゆっくりと首を振った。

「それは違う」
「何?」
「俺はジルヴァルトに勝てるはずなんだ。あの時逃げずに立ち向かえば、少しは結果が変わってシノンは助かったかも知れない」
「何を根拠にそのような事を言う?」

 あのジルヴァルトを目の当たりにしていて、なおかつ、勝てるかも知れないでも、勝てないかも知れないでもなく、勝てるはずだと言う。
 この思考は正気では考えられない。少なくともジェシカにとっては。

「これは自分で言ってるんじゃなく、他人からも言われている事だからだ。逃げずに立ち向かえば絶対に負けねーってな」
「信用ならんな。話はそれだけか? ならばさっさと出て行って私を一人にしてくれ」と、ジェシカは槍を壁に立て掛け、リクに背中を向けた。だが、自分の背中に投げられた次の言葉に、ジェシカはピタリと動きを止める。

「なら証明してみせる。俺と闘え、ジェシカ=ランスリア」

 次の瞬間、先程壁に立て掛けられたばかりの槍はリクの鼻先に突き付けられていた。その槍は確かに前の瞬間まで彼に背中を向けていたジェシカの手に握られている。
 そして一秒経ち、豊かな金髪を編み上げた大きな三つ編みがそのジェシカの早さに唯一ついてこれず、今ごろといった感じで、パサリと彼女の背中を叩いた。
 リクは全く身じろぎしなかった。しかし、動けなかったのではなく、彼女には刺す気が全くなかった事を見抜いての事だ。ジェシカもそれに気付かないほど盲目ではなかった。
 静かに睨むジェシカに、リクは無表情のまま、もう一度告げた。

「俺と闘え。そして俺がお前を相手に楽勝したら俺に謝らせる、それでいいな?」
「私を相手に楽勝?」
「苦戦してもジルヴァルトより強い証明にはならねーだろ?」

 不敵な言葉にジェシカはその目を一層鋭く細めた。

「いいだろう。だが後悔しても知らんぞ」


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 リクとジェシカの対戦はこの第一決闘場で行われる事になった。
 準備を終え、控え室を出て来たリクをコーダが迎えた。

「に、兄さん、なんスか? その格好?」

 肘まである袖の裾はびらびらで、その中から下の長そでが突き出している。その長そでに上には手の甲から肘までを覆う篭手。頭には大きな長いバンダナを巻き、胸には軽金属で出来た胸当てをしている。そして締まるところは締まってずり下がる心配はないが、やたら長く大きいズボンを履いている。
 一言で表すと、洋風袴といったところか。色は緑と白を基調としたもので、リクの瞳の色などと相まってとても良く似合っていた。

「ああ、ちょっと気合い入れようと思ってな。どうだ、似合うか?」
「うん、かっこいいッスよ」

 しばらく頷きながら、それを眺めていたコーダが恐れ多そうに尋ねた。

「兄さん、あの、ちょっと聞きたいんスけど、どうしてあの女と闘う事が自分に釘を刺す事になるんス?」
「俺もまさか闘う事になっちまうとは思わなかったんだよなァ」
「へ?」と、意外な答えに、コーダが目を丸くする。
「元々アイツに謝って、それでジルヴァルトを絶対に倒すぞって、いってやるつもりだったんだ。ところがなかなかあっちが謝らせてくれねーもんだから、どーにかしようと話してる内に闘う事になっちまった」と、リクは苦笑する。

 少しの間、呆れた様子を見せていたコーダは話の流れを根本的な方向に修正する。

「で、どうして闘ってまで謝ろうって思ったんスか?」
「自分に釘を刺す為って言ったろ?」
「どうしてあの女と闘ってまで謝る事が自分に釘を刺す事になるんス?」
「俺もまさか闘う事になっちまうとは思わなかったんだよなァ」

 言ってしまって、話が堂々回りになってしまっている事に自分で気が付いたリクは咳をひとつして謝った。

「スマン、話が変になってたな」
「それはいいんスけど。で、あの女に謝って自分に釘を刺すってどういう意味なんス?」
「イマイチ自分だけの決意じゃ弱えかな、と思ってさ」
「?」
「自分の敬愛する男を殺されて、悲しみに暮れているアイツに逃げた事を謝って、もう逃げねー、絶対アイツを倒してやるって言っちまったら、もうさすがに引っ込みが付かなくなって逃げたり出来なくなるんじゃねーかって思ったんだ」
「へぇ……」と、コーダはリクの考えに感心した様子を見せる。「それで、勝ったら謝れるんスよね? 勝算はあるんスか?」
「勝ったら、じゃない。楽勝したら、だ」と、リクは訂正した。「勝つくらいは何とかなりそうだが楽勝となると、ちょっとキツいな」

 表面は自信なさげな言葉ではあるが、結局は自信たっぷりの不敵な発言だ。そしてコーダはリクの雰囲気に闘いに対する緊張を感じなかった。だがそれとはまた違った緊張感は見受けられる。何か新しい事を始める時の心踊る緊張感と言うのか。
 この時、コーダは自分が気に入った男がこの大会の優勝に思ったより遥かに近い事を感じた。


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 一方こちらは、ジェシカ=ランスリアの控え室である。
 ジェシカは、鉄仮面を除くいつもの装備を身に付けると、部屋を出た。そこには待ち人が三人いた。
 正確に言うと、待っていたのは一人で、後の二人はその護衛である。
 護衛されるほどの人物、そしてジェシカに関連する人物、それは最も高位にある人間の一人。それはカンファータ国王・ハルイラ=カンファータ十八世だった。
 それに気付くと、ジェシカは反射的に片膝を付いた。

「ジェシカ、これから闘うと聞いたが、まさかあの男ではあるまいな?」
「いえ、今回は。しかし関係の無い話ではありません」
「……? それはどう言う事だ?」

 ジェシカは可能な限り詳しく事情を伝えた。

「ですから、私はあのリクと言う男の鼻柱を折ってやり、改めてあの男に挑む所存です」

 それを聞いたハルイラは、深いため息を付いた。

「ジェシカ、私は正直に言って、お前にこれ以上闘って欲しくない。軽々しくこのような大会に出したお陰で私は二人も有能な魔導騎士を犠牲にしてしまった。
 シノンでさえ、あっさりやられてしまったと聞く。お前もシノンに五分だと認められたとはいえ、私はお前がジルヴァルト=ベルセイクに勝てるとは思えん」
「私もそう思いました」

 ジェシカが思ったよりあっさりと認めたのでハルイラは、少し驚いた様子で問うた。

「ならば、何故お前は闘い続けようとするのだ? お前は勝てない闘いを挑むような者ではなかったと思うが」

 その質問に、ジェシカは初めて垂れたままであった頭を上げ、ハルイラの目を見て答えた。

「今から闘う相手は私に向かって楽勝してみせると言い切りました。そしてその前に、あの男は自分がジルヴァルトに勝てるはずだ、とも。
 妙な事に私はあの男が嘘を言っているようにも、思い上がっているようにも思えませんでした。その目は自分を信じきっておりました。普通人は少しは自分を疑うものですが、あの男にはそれがなかったのです。
 我が君、どうか私にこの闘いを止めろと命令しないで下さい。私は、確率は絶望的に低いのですが、この闘いで私は我が師・シノン=タークスを越え、そしてあの男に勝利する為の何かを得られるやもしれないのです!」
「ジェシカ……」

 その真剣な眼差しにハルイラは思わず一歩退いた。そしてジェシカに頭を上げさせた事を少し後悔した。もしこの眼を見なければ、彼はジェシカに拒絶不可能な命令を出す事が出来た。しかし、それは今や不可能になってしまった。

「……良かろう、私はお前が大会の参加者である限りお前の行動には干渉はしない。だが、奴とやる前に一度でも負けて腕輪を剥奪されたらそれまでだ。それ以上闘う事は許さん」
「有り難うございます。では相手を待たせるのは礼儀に反する事なので、これで失礼いたします」と、ジェシカは一礼すると、槍を掴んで通路を走り去った。

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